マイキーの レポ記事  2008年


讃岐うどんツアー2 香川県坂出市 満濃町周辺
2008年12月30日
 12月30日、お正月の帰省を兼ねて9月に行った、うどんツアーのリベンジを行うことに。
前回の反省を踏まえ、インターネットの情報を駆使してうどんツアーの挑戦を再度よく検証してみることに。

すると、うどんツアーのタイプには概ね2つある。1つは主に地元の人が、美味いうどんを捜して渡り歩くというもの。
もう1つは他府県より来て、
有名店を一挙に多く訪問するといものだ。後者の場合、訪問件数を考慮し、食する
うどんは「かけ」や「釜揚げ」どシンプルなメニューの選択が有効のようだ。
つまり限られた時間で、より多く訪問するという目的と手段が極めて合理的なことがわかった。

つまり
前回においては、1軒目はシバえびの天ぷらが有名だとか、2件目はカレー、3件目は肉うどん・・・・・・なんてのは全くのナンセンス
だったということだ。

人の胃袋には限界がある。アホだった。
従って、今回はシンプルなうどんメニューで訪問数を稼ぐスタイルで臨むことにする。
 
 年末の掃除や洗濯にお土産、お年玉の用意、着替えなどの用意などをしているうちに、前回同様にバタバタした帰省になった。
早朝3:30分に自宅出発。4:00前に京都南インターへ突入。
しかしそこでうどん屋の情報を書いたメモを忘れたことを思い出した。
4:00までに高速にETCで入らなければ割引が効かない。従って記憶を頼りに行くことを決める。
更に高速での走行中に、生ゴミを出す事を忘れたのに気が付く。

えらいこっちゃ。帰宅後の家の中の臭いが気になるが
もう遅い

 6:30鴻ノ池PAに到着。あまりにも眠いのでココで休憩を取ることにする。ナビで
「うどん 田村」を検索するが不詳だ。
次に
「がもう」を検索するとヒットした。そこで1軒目は「がもう」に決めて一眠りすることに。
7:30すぎ、1時間ほどで体中が痛く目を覚ましたのは前回と同様だ。訪問するうどん屋の年末の営業の有無が気になりながら、
坂出市に向かい再出発する。

ナビにより無事に田んぼの中の「がもう」到着。なんと
すでに行列が出来ている
おおよそ100人ほど
改めて時計を見るがまだ8:00をすぎた時間だ。年末の休暇の影響だろうか?広い駐車場も9割がたは埋め尽くされている。
一度列の最後に並ぶが、あまりの人の多さに気が折れて
「がもう」断念

( ̄□ ̄;)  スゴイ

すぐ近くの
山下(坂出)に向かうことにする、ここは前回痛い目にあった場所だ。
駐車場に入ると車が少ししかない。ラッキー!! 温かいかけの小を頂こうと入口まで行くと、張り紙が。
本日、玉のみ販売店内は休み」 「山下」断念
(≧◇≦)え〜!   年末だから仕方ない。

気を取り直し丸亀市の
焼き鳥の「一鶴」へ向かうことに、そしてその道中にうどん屋が開店していれば入ることにする。
しかし年末のことや時間が早い事もあり何処も閉まっている。
ほど無く「一鶴」に到着。しかしまだ9:00前、店は閉まっている。
「一鶴」断念
広い駐車場でナビで
「長田うどん」を検索するとヒットした。と言うか「長田うどん」しか後は店名の記憶が無い
ここに望みを賭けて向かうことにした。

そして、どこでもいいので、うどん屋が開いていれば、飛び込むことにする。

もう何でもいい、何処ででもいい。何か食わなきゃ、何のためのうどんツアーか判んなくなる。

ナビに指示され、東に南にハンドルをきる。しばらくすると、どの方向に向かっているかもわからないほど位置や距離感が無くなる。
そして偶然、三叉路で
うどん屋を発見開いているノレンも出ている。車も2台だけだが停まっている。
入らねばとハンドルを回す。広い駐車場のある店で引き戸を開け入店する。
 

しかし店内には、誰もいない。厨房では話し声がするが、いかにも今暖簾を出しましたと言わんばかりの雰囲気で、
電灯も半分くらいしか点いてない。しかも店内はすごく寒い。

一瞬出ようかなと思った瞬間
「いらっしゃい」
と元気な声。「いいですか?」
「どうぞ」
と返事
めにゅーから
「熱いぶっかけ小」を注文し待つ。

うどんのふる里「歌月」 香川県まんのう町
ぶっかけ小 300円


開店直後という事で、お湯から先に沸かしてたようで時間が少々かかりましたが、完成です。
空きっ腹にコシのあるうどんが入っていくのが良くわかる。
うんまい!!!!
レモンを吸った大根おろしが、麺にからみ、さっぱりとしたのど越がある。
そして1軒目完食

店を出て、再度
「長田うどん」に向かって出発アッ〜。
食えて急に元気が出てきた。

「歌月」からすぐに
「長田うどん」に到着する。交差点の角にあるお店のようだ。しかもその反対の角にも大きな駐車場を持つ
うどん屋が見える。しかも車が結構止まりそこも開いている様子だ。
一方の長田うどんは駐車場に車が一台も止まっていない。
店内は明るく確実に開いている様子だが、ここにもお客が1人も見えない。???
 

入店すると
「お召し上がりですか?」とのお声が掛かり。「はい」と返事。
「何します」そこで一番安い「釜あげうどん小」と注文。

お金を払うと
木製の大きな「1番と書かれた食券を頂く。
ド真ん中の席に1人座り、広い店内を見渡し、厨房も観察。意外と従業員の方が多く10人近くいる。
従業員もマイキーを見て観察している様子、しかし中々注文が来ない。

「どないなってるんや!!」と思っている頃、
別の従業員の方が
「お召し上がりですか?」と再度のお声掛け。
「はい(当たり前だろう)そして(どんだけヒマやねん。どんだけ待たすねん。)と心で思う。

すると
「出来ましたらお持ちしますので、そちらの出汁を入れる器を用意して下さい」
と山盛りになった器の山を示す。
「?」どうやらうどん以外のお茶も含めて、皆セルフのようだ。


そら従業員さんも、
こいつなにもんや?てな目で見るのが判る気がする。
あわててお茶と出汁用の器を用意し待つことに。
と、静かだった店に1組、2組と客が入り始める。あっという間に5組ほどの客がはいった頃

「長田うどん」 香川県まんのう町
 
釜あげうどん 250円

「釜あげ小」といいながら完成と同時に大きな徳利に入った出汁の器がテーブルに。
ていうか、ほぼ同時に他の席にも運ばれていく。
「?」長く待ったマイキーと今来たお客もほぼ同時に頂きます「?」
少し得心が行かぬが・・・。
食べるとこれが
「美味い♪♪」確かに麺にコシがあるのがよくわかる。そして付けて頂く出汁も美味い。
なるほどなーと思う。これが讃岐名物のうどんの味なのね。確かにこれは飽きが来んわ。
何ぼでも食えると思った。

直ぐに完食。2杯目を完食


ご馳走様をして、次は交差点の反対側にでも行こうかとおもった時。

急にお腹いっぱい。お腹いっぱいの満腹シグナルが出てきた。


しかし、せっかく来たのに。

お腹いっぱい。お腹いっぱい
やっぱり オレ アカンたれや!!
もう食えネー

と今回は2箇所でゲームオーバー。
もう食べ歩きは諦めよう。
「反省」

 ある体験 JR尼崎脱線事故
2007年 6月19日の出来事
 平成19年6月19日 兵庫県の尼崎市内の建築事務所に営業に向かった。
そして生涯忘れることの出来ない体験をすることとなった。

営業上、8時前に京都を出ると、10時半頃には尼崎市内に入れ、昼前までに少なくとも2〜3箇所回れる。
しかし、私の立場上そういう訳にもいかない。毎朝、社長と営業上の打ち合わせがあった。

9時前に社長が出社してきて、私の顔を見て「何かあるか?」と社長が聞く。
「何も在りません」と私が答える。 単にそれだけのことだ。
社長に何か新たな情報が入れば、社長室に来いと言われ、そこで別途指示される。

私の主な業務は、公共工事の発注情報を収集整理し、それを社長に報告しその後の処置の決裁をもらう事にある。
社長決裁後は、部下に伝達し確実に執行されることを管理する。

公共工事の発注量の減少もあるが、6月までの第一四半期は、官公庁が設計を組み始めた段階で、
工事の発注はほとんど無い。
よって社長への報告もこの時期は少ない。報告することは無いが、社長とのこのコミュニケーションが要る

私たちはそんな中で、新たな事業化を目的に提案書を携え,、飛び込みで営業回りをはじめていた。

儀式のような報告が終わり、事務所を出て尼崎に向かう。案の定、尼崎に入る頃に12時を回っていた。
リストアップした訪問先のメモを見ながら、1軒目の建築事務所を探した。
車にナビゲーションを乗せていないため、大き目のロードマップと兵庫県内の地図が頼りだ。
程なく1軒目は見つかった、集合住宅の自宅を事務所としているようだった。集合ポストで確認し、2件目に向かい
2件目を探しながら、同時に昼食先も探すことにした。
2件目は雑居ビルだった。それらしき住所へ向かうと、そこに4F建でSRC造りのビルがあり、
看板に目指す事務所の名前が確認できた。
 2箇所確認できたので、昼を取るために道中で見つけた回転寿司屋へ向かった。

飛び込み営業は場所が判っていると訪問の効率は上がる。昼食を食べる終わった頃、時間は1時を少し過ぎた頃だった。
お客様への訪問時間で、昼からは1時30頃と決めている。営業として自分で決めたマナーだ。
アポなして訪問させて貰うための気遣いでもある。

ここから最初の建築事務所まで5分ほどでいけそうな距離なので、寿司屋の駐車場で3件目の訪問先を地図でたどった。
3件目は、県道13号尼崎池田線に戻らなければいけない。そこを南に向かい、高速道路を横断して、すぐ左側の付近だ。
ナビゲーションなら「目的地周辺です」ということになる。
地図で細かい番地の号数までは確認できないため、最終的な場所は現地で確認することとした。
「高速の高架を越えてすぐ左」と復唱した。

1軒目の集合住宅では、玄関も開けてもらえず、インターホンから、「忙しいので資料があればポストに入れて」と
PR(ピーアール)を断られる。
2件目は受付カウンター越に、中年のおばさんに「説明を聞ける担当が不在」と告げられ、PR用の資料を預かってもらう。

3件目に向かい車を動かしたとき、時計はまだ2時前だった。
県道13号尼崎池田線に入ると片側2車線で、ずいぶん交通量が多い。
程なく目印の高速道路が見えた、「高速の高架を越えてすぐ左」目的地はあの辺りだ。
しかし現地の細かい号数や番地がまだ一致はしていない、
もう一度地図を見たい、出来れば信号ででも停まりたいなと、ハンドルを握りながら望んだ。
しかし無常にも高架がどんどん近づき、その流れが止まることなく、高速の高架下を一気に通過した。

高架を抜けたとき、左側に一瞬目をやり、それらしき事務所を探すが当然解らない。
しかたがないので、車を安全に停められる場所を捜した。この道の路側は問題外でとても停められそうにもない。
ところが車を停められそうな、コンビニや駐車場が見当たらず、車は流れで進み続け、
3軒目の訪問先付近から南へ南へ離れて行く。
現場から離れていくことに少し焦りを感じ、車を停めることと地図を確認するため、この幹線道路を離れることとした。
それと同時に、左折を繰り返し、目的の3箇所目の「高速の高架を越えてすぐ左」まで戻ることにした。
今は何よりも一度車を停め、地図を確認したかった。

そこで近くの左折の可能な一方通行を左折した。
入り込んだ道は細い生活道路で、今までの幹線道路のような喧騒が急に無くなった。
ハンドルを握る手からも緊張から緩み、車を停めようかと一瞬悩むが、幅員が少なく駐停車が難しい状況だった。
ふと前方を良く見ると、この先が行き止まりのようになり、そこに横断する線路らしい盛り土と構造物が見えた。

あの辺りまで行くと車を停める場所があるのじゃないか?と営業マンのカンが働いた。
車を進め、T字路に行き着くと、線路と平行する広い道路があった。
ちょうどそこに轟音と共に電車が右からやってきた。停車場所を捜すため、そして「高速の高架を越えてすぐ左」へ
戻るため、電車進む同じ方向の左へ曲がった。
並走する電車は、線路と車輪が擦れた、激しい摩擦音を
「キャリ キャリ キャリ」と鳴り響かせていた。
外回りの営業のカンは合っていた。
道は車を停めるのに十分すぎた。しかも車も走って無く、道路に駐車車輌も無い。
そこで、ゆっくりと地図が確認できる適当な場所を、と目で捜した時だった。

「ズドン」という強い衝撃が、前触れも無く体を貫いた。それはカミナリが自分の体に落ちたような激しい衝撃だった。
しかもそれは冷たくて重く、背中の頸もとに、何かが突き刺さるような強い痛みを感じた。
驚き、突然のことで何が起こったのか判らなかった。

私は瞬間的にルームミラーとサイドミラーで背後を見た。車の背後には何の異変も無かった。追突事故ではなかった。
気づくと体が小刻みに激しく震え、体中の毛が逆立っていた。
何が起こったのかわからなかった。ただ衝撃への驚きで、
頭の中では何だ、何だ、と繰り返した。
一方で身体は、今までで体感したことの体の震えと異常なまでの鳥肌の反応を続けていた。
ハンドルを握る手も腕も硬直と震えで、はなす事もできない状況だった。

異変の起きている横を、電車が相変わらず高い金属の擦れ合う音を響かせ、何事も無く走り去った。
左折してこの道に入って間のない時間に思えた。
自分に起こっている激しい体の異変の原因は全くわからない。
その一方で、思考と体中の全感覚が異変の原因の情報を捜しているようだった。
天気も良く、自分を見渡しても腰や胸廻りににも何の異変も無かった。車のエンジン音も正常でラジオも流れていた。
周辺景色にも、異変の原因を思わせるものは、何一つ見あたらなかった。

ふとかすかな「キャリ キャリ キャリ」という摩擦音の残聴が、のん気に何処の電車かと気にしていた。
色を思い出すと、車体の色はステンカラーだった。ステンカラー?阪神電車でも阪急電車でもなかった。
と同時にそれは、何の関係も無いどうでもいいような情報に思えた。
体は激しく震えていた、一体この異変は何だと考えた。再び電車が走る方角が違う。
阪急阪神JRも高速も神戸方面ではみな東西に走っている。
と、そんな思考が頭の中で浮かび上がった。
そんなことは今、どうでもよかった。
事実、今走り去った電車は県道13号尼崎池田線と同じく、南北に走っていた。

首の痛みは治まること無く、体の震えも止まらなかった。この異変の原因は判らずじまいだった。
再び何やあの電車、阪神・阪急でもなく南北に走る電車、そんな電車あるのか尼崎市で?
その瞬間思考は一挙に急展開した。尼崎 阪神阪急以外の電車、JR 尼崎。

その瞬間
「ドン」という鈍い衝撃が再び今度は体の中から起きた。硬直し激しく震えていた体に、
さらに大きな衝撃の波と冷気が全身の隅々までに行きわたるのを感じた。
思考は感じたことのない恐怖とパニックに包まれていた。今まで体験したことのない恐ろしさだった。
この異変の原因が。何か霊的なものであることを確信させた瞬間だった。
頭が自然と線路の方向である右にゆっくり向いた。
線路の向こう側にマンションが見えた。高いマンションで1階には仮設の白い万能塀で囲われていた。

「ウソやろ、マジかよ」とおもわず言葉が出た。
そのマンションはテレビで何度も繰り返えし映されていた、電車が脱線して突っ込んだマンションだった。
いま自分がいる場所が、マンションと線路を挟んだ反対側にいることがわかった。
そして自分が身体に起こっている異変の原因が、ここで亡くなった人の怨念であることを確信した。
車も通らず、車も停まっていない静かな空間がここに広がっていた。

心臓も破裂しそうなくらいの動悸と、恐怖心で横を再び見る事もできなかった。前以外何も見たくなかった。
何も聞きたくもなかった。そして何も考えたくなかった。
なにより一刻も早くその異変を引き起こす場から離れたかった。
道はすぐに高速道路に行き当たり、左折するとそこに1台のパトカーが停まっていた。
しばらく行くと県道13号尼崎池田線に出た。つい先まで探していた「高速の高架を越えてすぐ左」だったが、
左を見る事もなかった。家に帰るため右に曲がり京都に逃げ帰った。
P.S
6月19日その日私はまさに晴天の霹靂のごとく突然上記のような体験をしました。あの周辺で私のような体験をされた方は多いのかも知れません。
尼崎市でJR事故で多くの方が亡くなり、負傷者も多数おられたことは、事故当時のニュース報道で驚きをもってみていましたが、時が過ぎるのと共に
私にはすっかり過去の出来事にしか過ぎませんでした。
無責任な言い方をすれば、自分の身内や友達、知り合いに死傷者に含まれなかったからかもしれません。
私が体験した6月19日以降、報道で事故の映像が映る場合があります。私は自分に起こった体験を思いだします。正直いえば怖くて気持ちが悪い体験です。
そのたび体中の毛が逆立つのです。

 献 血 京都市駅前ビル6F
平成20年12月1日

 最近よく歩く京都駅前、そこに献血センターが在ったので、今日は手帳を持って家を出た。
回数を見ると24回目だった。「チリも積もれば」と云うが。そうそう前回は今年5月に大阪の京橋駅前のバスで献血したのを思い出した。暑かったなあの時、
そしてうまかったサービスで頂いた●カリスウェット2本。
京都駅前の献血センターは初めてだが、中が綺麗で思ったより広い。

何よりも問診をして頂く先生が、
若いくて綺麗な女医さんで驚いた。
と同時に、かなりうれしかった。(どうにもならないけど)
女医さんには、血圧しか診ては頂けないが、「綺麗な先生やから、血圧高いかもよ」と云うと。女医の反応がカワイイ。そして女医さん「140と87、本当に、
少し高めですね!」「やっぱり正直でしょう」と、オヤジ会話。

若い深津絵里似の女医さん95点。またココに献血に来よう。

          採血室                              400ccの血液

           腕も毛深

 血液センターを出て、駐車場へ向かう道中で小銭が300円しか無いのを思い出した。献血をしてたのでおそらく300円と万札では、コインパーキングは
出られない。
両替をしようと道中のパチンコ屋に入るが、今のパチンコ屋は両替機が無い?
無駄足だった。何処で両替をしようか?
と悩む目の前に、昔のお得意先の営業マンがいた。

何しているの、こんな所で?」て何もしていないと言うことでコーヒーでも」と喫茶店へ。
コーヒー注文したけど、さっき献血センターで
サービスのコーヒーを2杯頂いたので、続けての3杯目となる。
マイキーの近況などを話して、コーヒーをごちそうになる。
本当はマイキーが両替したかったのに、ありがとうございます。
おまけに喫茶店で両替までしてもらった。ラッキー

 あんじ
 烏丸六角店
京都市中京区 東洞院通六角西入ル 南側2件目 星の子六角ビル2F
平成20年11月26日

 少し早めの忘年会を行いました。今年は結構大きなことがありました。(しみじみ)
「あんじ」さんは、よく寄せて頂く居酒屋さんです。安価でボリュウムがある居酒屋で、京都に数店展開されています。
7時集合という遅い時間にも係わらず、皆さん遅れての集合。無職の自分だけが10分も前から到着済みです。
久々に皆さんにお会いし、近況などをお話しました。
相変わらず建設業界は厳しいご様子で、色々とマイキーの近況を心配して頂いています。誠にありがとうございます。

 この店で好きなの「焼きそば」と「鯛のあら」、安上がりでっしゃろマイキーの嗜好。
「鯛のあら」はココの影響で家でも作りますが、ごぼうも入れての本格派。自分で作って、焼酎のアテとして結構行けます。
又、舟盛りを注文して、テーブルにデンと置いておくと見栄えもよく、お酒が進みます。
今日は焼きそばをおかわりまでしました。
色々食ったけど、焼酎を飲みだすと、アホです、気づいたら写真撮ったか?の状態です。
記憶ありません。写真があるものなどはわかりましたが、無い物は何を食べたかも不明です。
焼酎のボトルキープがあるので、3人で合計8,000円弱ほど、本当にお値打ち。 GJ 

   
          あんじ の入口                          アンキモ ¥ ?撮る前に食ってる
   
        舟盛り ¥1500                        出し巻き ¥ ? 撮る前に食ってる
   
         三嶋牛肉の唐揚げ ¥ ?                カキの奉書焼き ¥ ?

  肝心の鯛のあらや焼きそばなどの写真が無い、その他写真が無いのは何を食ったかすら覚えていない。

  個々の値段も云うまでも無し、飲み過ぎ?


 特許庁 移転登記完了
平成20年11月26日
 会社の保有する特許権など知的財産について、8月20日に破産管財人と打ち合わせの機会を持った。
その後、数回の電話のやりとりを行った結果。知的財産権について無償での譲渡が難しいことがわかった。
つまり移転には
買い取りが必要ということだ。

それでも自分の主張を通して、特許権などの帰属を自分にもたらすことは、発明人の立場として困難では無いことも解った。
しかし主張を通すとなると、時間を要するようだ。破産管財人により、売却可能な資産を全て売却し、単純に売却できないものは、
仕訳けがなされ、処分が下されるとの事。
つまり最後の最後になるらしい。その時期が全く不明で、場合によると何年も掛かる場合もあるらしい。

破産管財人との交渉の過程で、知的財産権の移転登録について、自身の無知なことも認識した。
インターネットで調べるが、膨大な量があり、今回特に必要な適切な情報がわかり難い。
京都発明協会や●枝国際特許事務所などに聞き回って必要な知識を入手。
さらに特許庁にまで直接問い合わせを行った。すると以外にも親切に教えてくれた。

しかし破産管財人の結論は変わらなかった。彼らの主張は買い取ることによる譲渡移転だけだ。
今は時間が十分にあり、時間の経過による無償取得も方法として可能では合ったが、不毛な時間にも思えた。
そこで決断し、破産した会社から
買い取ることにした。

次の問題はその知的財産権の値踏みだ、如何ほどの値を提示してよい物やら、買う側として安いほうがよいのだが。
破産管財人から「一度値段の提示をして下さい」ということになり、再度ボールはこちら側に。
価格設定において、今回ばかりは
売れている数が少ないことが幸いした
そうなると売れない特許なんて、関係ない者からするとガラクタの様な物だ。

しかし一方で開発の当事者としては、今回の技術の評価は決して低くないという思い込みだ。
買い取る場合は安いほうが良いに決まっている、しかし自分から低い評価(金額)を提示するのも沽券に係わる。
単純でアホなんだろうね、腹芸で交渉ごとが出来ない。

結局●●万円を提示し。そして見事に落札決定となる

破産管財人が契約書を作成してくれて、調印し入金した。手元には契約書しかないが、一応取得したことにはなる。
手ごたえが無いな!。これで権利移転が無事完了した。

 次は特許庁への移転登録手続きとなる。登録しないと特許法上は第三者の実施に対抗できない
新たに
登録する手続き特許権が15,000円、商標登録権が30,000円の印紙代が必要となる。
失業の身の上には辛い出費。何でこんなに高い印紙代が必要なのかもわからない。
思わず家を建てたときの売買契約書の印紙代を引っ張り出して、比べてみた。
一番高い金額の領収書で3200万円のものに貼られた印紙が10,000円だ。
売れなきゃガラクタにすぎないものに合計で45,000円分の印紙代。軽いめまいすら感じる。
おまけに殆どの書類が破産管財人との連名で押印したものになるので、印紙を貼ってしまった後、書類をミスすると大変なことになる。
従ってこの登録申請書類の作成は
緊張感タップリだ。

自分では用意できない破産管財人の「印鑑証明書」と裁判所発行の「(売買)許可証明書」
このあたりの個別の必要書類は、ネットでも情報を収集できなかったので、特許庁に何度も電話をして確認した。

ところが
「何で同じ物が2部もいるの?」「1部で十分じゃないの?」と破産管財人
「一応特許庁で確認したら、付けて下さいということでしたので、お願いします。」マイキー

・・・・・・・・・ 
聞いたこと無いな?法的な根拠は」破産管財人
・・・・・・・・・ わかりません。要るといわれました」マイキー

同じ会話を繰り返して。

誰に云われました?こちらで聞きます、
法的な根拠を。何で要るのかな?」と破産管財人

お願いします。それのほうが早いですね。特許庁の登録担当の●●さんです」とマイキー

しばらくして

確認出来ました。根拠もわかりましたので、出来ましたら送ります」と破産管財人
その後、送られてきたのが
2部の印鑑照明書1部の(売買)許可証明書
アレだけ特許庁と確認したが、1部しかない。本当に大丈夫か?マイキーが聞いた話しでは2部要るとの話しだったが?
しかし自分で(破産管財人)確認したから間違いないだろうと、
申請書を書留で郵送する。

後日、特許庁に移転登録の完了時期の目安を問い合わせするためメールをする。
すると提出した書類が不備という事で保留状態で、申請書に電話番号の記載が無かったため、
当方からの連絡を待っていたとの事。

ほぼ2週間ほどがほったらかしの状態
よくよく聞いてみると、やはり(売買)許可証明書は2部必要らしい。但し1部で済ますことも可能で、その場合には(売買)許可証明書に
特許権移転登録と商標登録移転登録の兼用とする」の一文を記載することが必要だったようだ。

結局は破産管財人のミスのようだ 
 
(●`з´●)「あのボケー 、何が法的根拠や、
思いっきり、間違ゴートルヤンケー!!」


さらに特許庁曰く、不足の書類を再度送付しても手続き上ダメということ。一番早い方法は、
提出した「移転登録申請書」の取り下げ申請を提出し、一度申請を取り消す。
そうすることで既に送付済みの書類が、自宅に送り返されてくる。
再度書類を整え、ふたたび「移転登録申請書」を提出するのが確実かつ早いとのこと。

ややこしいの〜!!

仕方が無いので「登録申請取下げ書」の書式を聞き、破産管財人と連名であるため押印をしてもらい取り下げを行うことに。
一度経験済みであることや、破産管財人も少し悪いと思ったのか、裁判所からすぐに書類を取り寄せてくれて、
再申請までは極めてスムーズに進行した。

それから時を経ること約3ヶ月、本日11月26日特許庁より書留が到着して、全ての完了を確認した。
お役所仕事は解っているつもりでも、長く手ごたえの薄い時間だった。
そしてその取得までのプロセスは、人生にとって本当に勉強になった。
次に役立つ機会は無いだろうけど貴重な体験だった。
無為な時間を経ながらも、何もすることが無いため、ただその帰結だけを拠り所に待ち続けた期間でもあった。

讃岐うどんツアー 香川県坂出市周辺
平成20年9月23日
 時期外れの帰省を利用し、香川県のうどん食べ歩きに行くことにした。インターネットで見るとうどん屋さんの情報は多い。ルートは瀬戸大橋からのアクセスで
行きたいので、坂出市や丸亀市などを中心に訪問先の事前研究。
 また丸亀市といえば親鳥や若鳥などで有名な「一鶴」もある。食べたことが無い。今までは帰省中に高速を途中で降りるなんてしたくなかったので、
行ったことは無い。そこでせっかくの機会でぜひ行きたい。「一鶴」へ行くとなると、昼のランチを「一鶴」とし、その前後に2軒行ずつ、合計4軒のうどん屋さんを
慎重に選ぶ。

5件くらいはいけるやろー(食える)
行く前は楽しかった。


こんなに自分が出来ない奴とは、悲しい _| ̄|○



高速の深夜割引を利用するため、朝3に時京都をシュッパーツ。6時過ぎ瀬戸大橋の与島サービスエリアに到着。
後は橋を渡れば坂出インターで下道となる。
しかしまだ早い、しかもあまりの眠たさに勝てず、与島で仮眠をとることにする。約1時間後、体中の痛みで目が覚める。
車で寝るのはしんどいのー。
まだまだ眠い。しかし眠れない。ボーと何することなく、寝られず9時前。
そろそろ出発。
1軒目 山下(坂出)到着。さすがナビ、川沿いの1軒屋に無事に連れて行ってくれる。


 
 なかなかの店構え、とても飲食店に見えない?(爆)
駐車場は広く、名古屋と岡山の車だけだ。地元のが無いな?大丈夫か?
こんな早くからうどん食う奴もいないか?などと想像を廻らす。

山下(坂出)は、しばエビの天ぷらがイイらしい。事前の情報では旨そうだった、ぜひ食いたい。
恐る恐る引き戸を開け入店すると、おばちゃんが忙しくしている。

テーブルで若い2家族が子どもと食ってる。 おー食ってる食ってる。天ぷらもいっぱい置いてある。

キョロキョロするマイキーにおばちゃんが、「熱いの、冷たいの?」と聞いてくれた。
「熱いの」とマイキー、続いて「大、小?」とおばちゃん「小で」と答え  「しばエビの天ぷらあります?」
「今、揚がったのがあるよー」との返答  ラッキー

寸胴から熱い出汁と、ネギは自分でなみなみと注ぎ入れてテーブルへ向かう。
壁は色々な色紙でいっぱいだ。期待でもー胸はいっぱいだ。

小うどんエビ天入り ¥350円
小うどん¥150円+えび天¥200円

テーブルにあるしょうがを自分ですって、まずは、なみなみと入れた出汁から頂きます。
空きっ腹の、のどから胃袋まで熱い汁が落ちて行くのがよく判る。「旨い」いりこ出汁の味だ。
うどんはコシがあり、京都のやさしい細めんなどとは明らかに違い、噛んでいる感じがする。

次はしばエビの天ぷらだ。ガブリとかじると、ウン?エビが無い、そこでもう一口ガブリ。
エビには当たるが写真以上に天ぷらの衣が厚く多い。
結構もたれるな、この天ぷら。想像と違うけど、値段からするとこんなものか?

めんをすすり、再び天ぷらをかじる。天ぷらが汁を吸いふやけて。えび以外はふやふやに。
汁を飲むと天ぷらの油も胃に入ってくる。メンには箸がのびるがエビ天は形を失い、テンカス状態に。
腹いっぱい食った感じも無いのに、何故か満腹信号が・・・・・・
その時 食いきれるか? 食いきれるかな? と頭をよぎる。

時間はかからなかった  やっぱり
もう食えね ○| ̄|_
うどん鉢にふやけたしばエビの天ぷらが油を浮かせている。
セルフサービスの出汁をアホほど入れすぎたせいか?

ごめんなさい
まだ1杯目、しかも小うどんを食いきれることなく、強烈な胸焼け感。
そして強烈な敗北感

 ご馳走様をして。山下(坂出)を後にして、とり合えず2件目に向かう。
目的の2件目は丸亀市土居町の「かとう」だ、ここでは肉うどんが名物との情報だ。
今は、とても食えそうに無いが、まだ10時を回ったところだ。「かとう」は「一鶴」の近くでもある。
行こう現場へ、それからだ。

「かとう」にはすぐに到着。食いたいなんて感覚にはない。どうしようか?と悩む事も無く、
自然と「一鶴」へ向かう。ここはまだ開店前で車は1台も無い。
めったに無いせっかくの機会だ。次にまたこんな機会があるのか?と自問自答

脳味噌からの決断は早かった、タオルを自ら投げ込む。
ゲームオーバー
戦績 マイキー 讃岐うどん1軒目で撃沈


失業中なので原因をじっくり解析してみた。

1 寝不足で体調が優れなかった。
2 あまりの空きっ腹の上普段朝食を食べていないため、胃袋がびっくりした
3 天ぷらの油が、体に受け付けなかった。
4 内臓そのものに異常がある。


西陣職業安定所 失業給付の説明会
平成20年8月18日
 8月6日水曜日に離職票を携え、西陣のハローワークに行く。すると簡単な状況の聴取の後、「雇用保険受給のしおり」と
「失業認定申告書」をもらい、約2週間後の8月18日午後2時に失業給付の説明会を行うとの事。
また当日は「雇用保険受給のしおり」と「失業認定申告書」そして顔写真を持ってくる事などを云われ、職安を後にする。

8月18日と云うことは、12日も先のことだ、失業の申請だけを済ませてしまい、少し夏休みを兼ねた休養をと思っていたが、
18日に出頭となると、お盆休みが終わるとすぐにやってこなくてはならない。帰省のことを考えると、夏休み(お盆休み)後に
京都に舞い戻るという、失業前の状態と、あまり変わらないスケジュールとなる。

 バタバタした帰省の後、8月6日に西陣の職安へ行くと、元の同僚が既に何人も来ていた。
集まって、話をしていると続々と別の同僚もやってきた。
2Fの受付で
「雇用保険受給資格者証を受け取り、3Fの説明会場に移動した。3Fは同じ様な資格者証を手にした失業者で
一杯だ。この様な説明会がどの位の間隔で行われるか知る術も無いが、ほぼ同時期に失業(退職)した人の多さには少し驚いた。

 頂いた「雇用保険受給資格者証」には色々なことが記載されている。中でも特に重要なのは「基本手当日額」と「受給期間満了日時」
及び「所定給付日数」だ。それぞれマイキーの記載は、
「基本手当日額」6,433円
「受給期間満了日時」21年8月30日「所定給付日数」330日となっていた。

つまり日額6,433円を最短で21年8月30日まで支給してくれるということがこれでわかる

 一応大人なので甘い考えは持っていなかったが、現実はやはり厳しい支給内容だった。1ケ月30日×6,433円=
192,990円が支給されるという内容だ。
一方「雇用保険受給のしおり」に年齢区分による基本手当日額の上限額が記載されていた。
それによると
30歳〜44歳までの上限が7,070円で45歳〜59歳で7,775円とある。
つまり45歳の自分がその区分の上限額を支給される可能性はありえないと思うが、下の年齢区分の7,070円の上限額は少なくとも支給されると思い込んでいた。
つまり1ケ月の30日×7,070円という事で212,100円が支給されると当てにしていた。
しかし現実は違っていた、こんなものかということで少しガッカリした。マイキーの支給額を年齢区分で云うと、さらにその下の
30歳未満の区分の上限額が
6,365円
とあるので最低の年齢区分の上限額を僅かに上回る額でしかない。

 失業者全て自らの事情を持っている。マイキー自身にもある。
月々の家のローン110,000円、健康保険料26,000円、生命保険料16,000円、車の自賠責保険料6,000円で
小計158,000円となる。

その他変動のある光熱費などの目安金額として、電気5,000円、ガス3,000円、水道2,000円、電話代(固定)6,000円、携帯代7,000円、
プロバイダー(ニフティ)代2,000円で
小計25,000円となる。

つまり
合計で183,000が現状においては毎月の最低限必要な現金となり。
今回の支給額の192,990円に対しその差額は10,000円程となる。
厳しい失業生活への突入を認識させられた瞬間だ。

とはいえ掛かる費用の節約なんて不可能に近い。くそ暑いけどクーラーなんて殆どつける事は無い。風呂も沸かすことは少なく、冬でもシャワーが多いのに、
どう削減するの水道とガス代という気分です。
食費も独身なので、外食と自ら作るのと比べどれ程節約が可能かも疑問が残る。

 雇用保険金も年金と一緒で掛け金は少ないほうが良いに決まっている。しかし頂く場合は多いほうが良いに決まっている。
去年から金問題でさわいでいるが、雇用保険も同じ様な問題を持っている。
そんなこと説明会を聞いている同僚の誰も知らない。女の子なんてかわいそうなことこの上ない。このことを知っていて、あの説明会の話を聞いていると
本当に腹が立ってきた。

 企業に勤めると給与から所得税や厚生年金などが自動的に天引きされて、手取り額が支給される。基本的にはこの天引きされる物は支給額の多寡により決まる。
税金なども給与が増えるほど、税金は多くなることは当然のように知られるが。雇用保険は少し違う。
雇用保険の料率は勤める会社の業種により異なる。区分は3つあり、農林水産業(+酒造業)、
建設業とそれ以外の一般業種の3つだ。
それぞれの料率は、
農林水産業(+酒造業)が1.35%建設業が1.45%、それ以外一般が1.15%となる。これが意味するのは、
学校を卒業し支給される給与が全く同じであっても、入社する会社の業種により手取り額が変わってくることを意味している。
建設業に就職を決めただけで雇用保険の天引き金額が少し多くなり、手取りが減少するということだ。事務のOLさんなんて一般の会社も建設会社も業務の内容に
変わりはない。でもそんなの関係ない。

 一方失業や離職した場合、建設業に勤めていた者は多く支払った分だけ支給額が多いということは無い。つまり多く取られてもらうのは一緒なのだ。
これだけでも腹が立つが、更に腹が立つのがゼネコンと呼ばれる大手の建設会社は建設業の料率である1.45%を支払っている会社など無く一般の1.15%しか
払っていないということだ。
所詮厚生労働省の所管する年金を初めとする社会保障制度はこのようなずさんでいい加減なことで運用されているのだ。
結局は真面目で従順な者がバカを見るようになっているのだ。
追記
実際に雇用保険の支給が始まった。9月2日 21日分 基本手当て135,093円、9月30日 28日分 基本手当て180,124円、  10月28日 28日分 
基本手当て180,124円、11月25日 28日分 基本手当て180,124円という事で、
9月に支給分は1週間の待機期間中が減らされて21日分の支給、以降は各月28日の支給であった。
民宿 品野 福井県越前市越前町
平成20年1月26日
 1月26日土曜日〜27日日曜日にかけて、毎年恒例のカニを頂きに越前町へ。本来は一番年下のマイキーが運転すべきなのですが、スタッドレスタイヤがツルツルで
ワイヤも見えそうな状態なので今年は連れて行っていただく。これは楽だ、これなら明日は二日酔いになっても大丈夫だ!

せっかくの越前なので、チョイ釣りセットでもあれば良いのだが、そんな時間は無い。

コースは毎年ほぼ一緒、2時頃に集合し、京都を出発し。まずは越前海岸にある「漁火」という、夕陽の見える温泉で疲れを取る。その後宿に入り、
直ちにカニの宴会の開始。カニと酒で夜が更ける。

翌朝は朝食を頂くと、この民宿でお土産のカニやハタハタ、アカガレイなどを格安で購入し家路へ。その後、立ち寄るのが河野村にある「おさかな市場」という
海産物屋さん。
ココで再度カニやハタハタなどをひやかし、(民宿で購入しているので買うことは無い)次に敦賀の小牧というかまぼこ屋で試食品をつまむ。
そして高速で京都へ。

釣りなどの時間は無いのだ。すべてのためだけなのだ。

ここでカニの旨さを、O村氏に教えて頂きました。
大きいカニの甲羅を手で外すとき、なんとも云えない喜びを感じます。個人的にはカニ味噌と甲羅の裏の白い薄皮のとこの身が好きです。
(貧乏臭いですけど)
足とか本体はやはり面倒かな。

それとやっぱり彼女ときたいね。居ないけど。

   ¥16,000円 1泊2食(酒持ち込み)
     
        ヒラメやタイ、いさき、甘エビなどの舟盛                      焼き・造り・茹でカニと各種小鉢

    
         お食事風景 マイキーの頭黒いな、修正してないのに

メニューは
 皆の分 
     舟盛り(3人前)
 各個人
     茹でカニ1匹、
     焼きカニ胴体部+足2本。
     生カニ足のみ4本
     サザエ2個
     ホッケの焼き物2匹
     蛍烏賊の酢の物
     蛸の酢の物
     赤カレーの一夜干し
  です
     お酒はビール2本ほど
     (持ち込みの焼酎2本)直接聞いてはいませんが、持ち込みOKみたいです。
 数少ない恒例の贅沢です。本当はこのメニューはオプションらしく、カニ鍋も付くそうですが、
見ての通り食べ切れません。そこで幹事兼会計のO村氏が色々と民宿と交渉して頂いて、
カニ鍋を無しにして、替わりに茹でカニのグレードUPなどをしてもらっています。
本来のメニューはカニ2匹(内1匹のみタグ付き)+上記写真のメニュー+カニ鍋です。

今年はカニ鍋と茹でカニの1匹を無しにして、その替わりに残り1匹の茹でカニのグレードUPを企てましたが、カニ漁は中々思うようには行かないようです。


  参考データー

   費用と交渉と漁の関係で デカ!になります


    
   この2枚は、2008年の写真ではありません。(マイキーのアイカーブより)この年は本当に大きかった