京の都の八百万の神様


  稲荷系   天神系  八幡系

 京都には数多くの神社仏閣があります。京都は長年に亘り都が置かれ、政治の中心でもありました。そして何より天皇の居住地としての存在が
一番の影響と思われます。特に神社は地方とは比べると規模の大きな官幣大社も多く有しています。

そこを訪ねて由緒や御祭神などを見て、静かな境内で心を澄まし、手を打ち願い事を当たり前のようにしています。
そんな中、現世利益を実現してくれる此処で祭られている「神」が何物様なのかすごく興味が湧いてきました。
調べると不思議です。お稲荷さんだったり、大国主命や八幡様だったり様々な神様が存在します。更には鬼が住む都、怨霊の神様だったり、
実に多種多様です。

その神様を訪ねて、お祭りされ永年信仰を得ている理由を探り、
妄想すると、何か新しい世界が覗けたようなワンダフルな感覚を覚えました。

     
蚕ノ社神社(木嶋神社)
京都市右京区太秦森ケ前町
その1
祭    神  : 天之御中主命・大国魂神・瓊瓊杵命・穂々出見命(彦火火出見命?)・
           鵜芽葺不合命(鵜葺草葺不合命?)
分    類  : 一族
神    徳  : 学問・祈雨(農耕)
末社 摂社  : 椿丘大明神・白清社・
稲荷社 他数社

 この神社は右京区の三条通天神川を北西に上がった、静かな住宅地の中に鎮座しています。この蚕ノ社神社は正式名称「木嶋坐天照御魂神社」
(このしまにますあまてるみたま神社)」といい、元々は秦氏の氏神を祭る神社だったと思われます。
普通に天照・・・・と云えば天照大御神をさしますが御祭神を見る限りそうではないようです。
この神社の御祭神はは輝かしい日向系の天津神と出雲の神の神をお祭りしてあるようです。しかも大国魂神はただの出雲の神ではありません。
興味深いな〜。
この辺りの地名を太秦(うずまさ)といい、秦氏の支配した有力な地域とされます。秦氏は中国の南部沿海部の出身云われ、皇族より請われて、
この山城の地に移り住んだと云われます。この秦氏により大陸から先進的な様々な技術が日本にもたらされたと伝えられています。
特に桂川の築堤などの土木技術や養蚕、織物技術などがその具体例と伝えられています。この蚕の社と云うのは、秦氏よりもたらされ継承された
技術の振興を祈願した名残と思われます。本殿の脇の東殿は蚕養(こかい)神社と称されています。
 
正面鳥居この南、三条通に面する場所にも石鳥居がある                  拝殿
 
この奥に本殿と東本殿がある                                    謎の3本鳥居

 
古代妄想

  この山城の地は秦氏以外にも賀茂氏や紀氏、八坂氏,など有力な豪族が知られています。その一族は勢力とし支配した地域の地名などとして、
賀茂や太秦、出雲路などとして現在に伝えられています。
それらの豪族は自らの血縁を中心に一族の氏神を自然な形で崇拝していたに違いありません。
そして賀茂氏の上(下)賀茂(鴨)神社や八坂氏の八坂神社がよく知られています。この木嶋神社の辺りは太秦という地名で、ここを支配した秦氏の
名残です。一方この木嶋神社は秦氏の氏神ながら、現在に伝わるものは、賀茂氏の賀茂神社の係わりを思わせる不思議な謎があります。

1つ目は、この木嶋神社の神紋は賀茂葵という二葉葵をモチーフにした紋ですが、これは上(下)賀茂(鴨)神社と同じものです。
有力な対抗氏族であった賀茂氏と同じ神紋になった理由が不思議です。
2つ目に下鴨神社のある「糺ノ森」という場所、この木嶋神社にも境内の脇の森が「元糺ノ森」と云う場所が伝えられています。
「糺ノ森」では何らかの祭礼が行われた場所と思いますが、その神聖な祭礼場所が秦氏から賀茂氏に移ったのか?不思議です。
3つ目は木嶋神社に伝わる三本足の鳥居の存在です。三本足といえば賀茂一族に所縁のある賀茂建角身命の化身とされる八咫烏(ヤタノカラス)も
3本足です。鳥居は元々神聖とされる鳥が停まる場所(物)として造られました。3本足の鳥が普通の2脚の鳥居に止まるには安定感がありません。
そのために特別に3本足の鳥居を八咫烏(ヤタノカラス)のために造ったものでないのか?
しかし当の上(下)賀茂(鴨)神社には3本足の鳥居は伝わっていない。???不思議だけど何か面白い。

古事記や日本書紀の書かれた、はるか以前の山城国の形成。特に賀茂氏と秦氏という豪族の土地や水などを巡る抗争が其処に確実に
存在したでしょう。その抗争の結果どちらが勝ったのか?どのような決着の結果、現代につながっていくのか?などと妄想すると興奮しています。
晴明神社
京都市上京区堀川通一条上ル清明町
その2
祭    神  : 安倍清明御霊神
分    類  : スーパー個人
神    徳  : 魔除け、厄除け、病気平癒、火除け、方除け
末社 摂社  : 地主社、
斉稲荷社、天満社
 堀川通一条通を上がった場所で東向きに鎮座し、御祭主に陰陽師の安倍清明を祭る特異な神社です。安倍清明が平安時代において単に
高級技官という存在だけで無かったことを証明する神社ともいえます。
安倍清明は朱雀・村上・冷泉・円融・花山・一条天皇と6代の天皇に仕えた陰陽師。
陰陽師は陰陽五行という、この世の組成が火水木金土の5つで成り立っているという考えに基づく思想。安倍清明は当時における最先端の
理論者とも云え、この理論や実践、結果の読み解きを司った役人である。そしてその神徳は魔除け、厄除け、病気平癒、火除け、方除けと
何でもござれのスーパーパワー。

漫画の影響で若い参拝者が急激に増えて元気のある?神社といえます。
清明神社と直接は関係ありませんが、神社の入口に千利休の屋敷跡の石碑が???。こんな場所に千利休の屋敷があった。
それでは神社は?と疑問が湧きます。
しかしこの近く一条戻り橋では、秀吉により千利休の首が梟首された場所、点と点では繋がります。
 
堀川通に面した鳥居                                        本殿

古代妄想

 この時代くらいになると文献等でも安倍清明の名が見えるので、その存在と人物像の推測も立ちます。だだ伝わる以上に周囲はその能力を
崇敬もし怖れていたことが十分に想像できます。このような神社をお祭りするのですから。その死後も子孫や政敵に災いを齎すことが想像できた
ことなのでしょう。
20年ほど前に清明という名前に引き付けられて初めて訪問したとき、この神社の神門がダビデの星と同じ形をしている事に何より驚きました。
何も知らなかったので少しその神紋がシャレた感じに思ったのを思い出しました。雨乞いをする役所があった時代。天文を観察し、
神霊に耳を研ぎ澄まし吉凶や未来を占い進むべき道を判断する責任は相当のものであったでしょう。
2割3割の正答率ではその信頼は続かなかったことでしょう。
護王神社
京都市上京区烏丸下長者町下ル
その3
祭    神  : 和気清麻呂、和気広虫姫命
分    類  : スーパー個人
神    徳  : 厄除け、災難除け、足腰の健康、
末    社  : 不詳
 この神社は御所の蛤御門の南側に、東向きに鎮座しています。和気清麻呂の功績や威光をにより、元々この位置にあったもの、
と思っていましたが、現実には違うようです。護王神社は神護寺の境内にあったものが、近代にその高徳を偲んで御所の西隣に移されたようです。
静かな高雄の山から、再び都の中心に戻ってきてさぞかし騒がしいと思っているのではないでしょうか?
普通は神社と云う物は狛犬が迎えてくれます、稲荷の場合はキツネ。ところが護王神社はイノシシが迎えてくれます。
この狛イノシシが変わっていて、そのことでも護王神社は有名です。境内にもいのししに関連する物が多数展示してあります。
また境内の塀に和気清麻呂の幼少からの、絵物語が綴られていて、清麻呂の生涯を飽きることなく知ることが出来ます。
神徳に厄除けや災難除けがありますが、菅原公のような強烈な逸話は残っていないようです。
災いをもたらす事はありませんでしたが、ひたすら皇室を思い尊ぶ姿勢が廻りの人をして神に向上させたのでしょう。
和気清麻呂兄妹の徳が偲ばれます。
 
烏丸通に面した鳥居                                イノシシの狛犬
 
本殿                                        君が代の中にも出てくる「 さざれ」 石
古代妄想
 和気清麻呂は道鏡という奈良時代の末期の巨大な権力者に、ただ1人立ち向かった正義の人。和気清麻呂は本来なら抹殺されて、
歴史上に名前も残っていなかった人に違いありません。実際平安時代にしろ室町時代にしろ、その時代その時の為政者に誅されて消えた人は
想像よりもかなり多いはずです。
和気清麻呂も道鏡から刺客を送られながらも生き長らえ、本当に運よく自ら招いた政難から逃れ、生きた上に、さらに平城遷都という大事業に
大きな役割を果たしたということに、厄除けと云うよりも開運の神徳があるように思えてなりません。

 そしてこの歴史の伝えられる史実で一番気になるのが、道鏡に皇位を継がせるという宣託が、宇佐神宮に出されたということで、
奈良の朝廷が右往左往したことです。興味深いのが天皇所縁の伊勢神宮の信託でなく、宇佐神宮の信託で大騒ぎになったこと。
一地方の神社の神官にそのような信託があったとして、騒ぎになるのか?絶対にあり得ないでしょう。
たとえば上賀茂神社でそのような話があったとして、履行される(皇位が移る)理由になるのか?全く考えられない。
つまり宮崎県の宇佐神宮には、そのような大騒動になり得る、世に知られていない天皇家との関係や存在(地位、位、格)が在ったと言うことを
伝えている。たとえば宇佐神宮に宣託があったとしても、伊勢神宮にはそういうものが一切無かった、と云うだけで宣託の価値や信憑性が
消滅するようにも思える。このことは奈良時代においては、まだ伊勢神宮の存在や価値が、現在ほど形成されていなかったことも云えそうな気もする。
宇佐神宮に祭られている者は一体誰なのか?神話から始まるとされる皇室の源泉にどのような物語があったのか、ゾクゾクしてきますな〜。


今宮神社
京都市北区今宮町
その4
祭    神  : 大己貴命、事代主命、奇稲田姫命
分    類  : 国津神
神    徳  : 疫除け
末社 摂社  : 疫神社(素戔鳴尊)、宗像社、
稲荷社(紫野稲荷、織田稲荷)八幡社、大将軍社他数社

 今宮神社は船岡山の北側に船岡山を望むように南向きに静かに鎮座しています。
元々は船岡山にあったものがこの地に移転してきたと伝えられます。それによる起源は863年の神泉苑での御霊会と伝えられます。
今宮神社を訪れて、とりわけ目立つの南に面して立つ朱色の楼門の威容です。その参道は真っ直ぐに船岡山に向かっています。
参道は東向き側にもあり、こちらには「あぶり餅」の有名なお店があります。元祖と本家を名乗る2軒が参道を挟み向かい合って営業しています。
境内には西側に摂社が立ち並び、北側に本殿と疫神社が並んでいます。いずれも立派な社殿です。
また阿保賢さんと云う「石」が祭られていて、これを持ち上げた時の重さの感覚で願いが成就するとされる信仰が伝えられています。

 
楼門(南面)                                          本殿(南面)
 
疫社(南面)                                            座布団の上に鎮座する阿保賢さん
古代妄想
 京都の北に鎮座するする今宮神社で一番興味を引くのが、元々は船岡山に在ったという由緒です。
今宮神社が船岡山に在ったとき、その威容は想像が出来ません。しかし京都の地形で船岡山や日吉丘や吉田山、将軍塚などは、
ポイントになる地形です。
そのポイントと云うのは支配者(豪族)が司祭を執り行う場合、自然と融和することが容易な場所と推定されるからです。
特に船岡山は、平安京の都市計画の起点になったといわれている。船岡山を玄武に見立て、その南に続く線上に置かれたのが朱雀大通です。
そして中心である内裏。
時の為政者によりその座(船岡山)を追われ、その北の地に移ったその理由。移った後も連綿と人々により信仰の対象として続いている事実。
その今宮で祭られている出雲の神々。出雲の神の「何」が現在まで連綿と続く信仰の始まりなのか?
良く云われる所の、疫病が流行ったのでそれを鎮めるためにという理由、無くはないだろうけど、本当にそれだけで出雲の神々を祭り創めたのか?
疑問だ。非常に疑問だ。地政学的にも有力な位置に置かれるにしては弱くないか?理由として。
疑問だ!!!


五條天神社(天使社)又は筑紫天満社)
京都市下京区西洞院通松原下ル
その5
祭    神  : 大己貴命、少彦名命、天照皇大神
分    類  : 出雲の国津神
神    徳  : 医薬禁厭、厄除
末社 摂社  : 筑紫大満宮、福部神社、金比良神社、大国主神社、白太夫神社、稲荷大明神、
           猿田彦神社、竹生島神社(弁財天)


 五條天神社は西洞院通に鳥居があり、五條天神社と名前があるが、一方北側松原通側の参道の入り口には筑紫天満社の名がある。
最初松原通側から神社に入ったときは、天神様を御祭りする神社と名前からして疑うことも無かったが御祭神を見てびっくり。
本殿の南側に筑紫大満宮があり、臥牛もいるので天満社でも間違いないだろうが・・・
本殿は東面していて、西洞院通に面している、西洞院通に出て、改めて神社を見るとそこには五條天神社の名が。ここには天神様の
関係を示す別の名前があります。

 
筑紫天満社の参道と鳥居(松原通)                      本殿
 
五條天神社の鳥居(西洞院通)                          摂社の筑紫大満社
妄想中
建勲神社
京都市北区紫野北船岡町

祭    神  : 織田信長公、
    配祀  : 織田伸忠卿
分    類  : スーパー個人
神    徳  : 国家安泰
末社 摂社  : 
義照稲荷社、命婦元社、妙見社ほか義照稲荷社の東側に多数在り
 
船岡通に面した鳥居                             北大路側の参道入り口
 
拝殿は工事中                               本殿側からの眺め。吉田山の東大文字が正面に見え、東面している
                                                その彼方は尾張。

 
義照稲荷社
妄想中
松尾大社
京都市右京区嵐山町

祭    神  : 大山咋神、市杵島比売命
分    類  : 一族
神    徳  : 酒造り
末社 摂社  : 衣手社(羽山戸神)、一挙社(一挙神)、金比羅社(大物主神)、祖霊社(松尾所縁の功績者)
 
2つ目の鳥居                                 楼門
 
本殿                                       釘隠しなどいたるところに二葉葵の神紋が見える
妄想中
平野神社
京都市北区平野宮本町
その8
祭    神  : 今木神、久度神、古開神、比賣神
分    類  : 不詳
神    徳  : 
末    社  : 縣社(天穂日命)、八幡社(品陀和氣命)、
稲荷社(倉稲魂命)、蛭児社(蛭見神)、住吉社(住吉神)
           春日社(天見屋根命)、鈿女社(天鈿女命)、猿田彦社(猿田彦命)、
出世導引稲荷社
 
大鳥居(東面)                             本殿 御所の方を向いて建てられていると云う
 
右より今木神、久度神                                右より古開神、比賣神
妄想中
わら天神(敷地神社)
京都市北区衣笠天神森町
その9
祭    神  : 木花開耶媛命
    配祀  : 天日鷲命、栲幡千千姫命
分    類  : 不詳?国津神ぽい
神    徳  : 安産
末    社  : 
六勝稲荷神社(倉稲魂命 配祀 天照大神、神功皇后)綾杉明神(?)大山祇神社(大山咋神)
           八幡神社(応神天皇)
 
西大路に面した鳥居(東面)                         本殿前、特に六勝稲荷の正面の2つ目の鳥居(南面)
   
本殿                                    六勝稲荷本殿
妄想中
御金神社
京都市中京区西洞院通御池上ル押西洞院町
その10
祭    神  : 金山彦神
    配祀  : 天照大神、月読神
分    類  : 不詳?天津神ぽい
神    徳  : 資産運用、造作、転宅、方位、厄除け、旅行中の無事
末    社  : 不詳

 
黄金に輝く鳥居 (東面)                                本殿(東面)
 妄想中