マイキーの レポ記事  2009年

 知的財産管理技能士2級試験 終わった!!シーズンオフへ
2009年11月15日

     今年のペナントレースは予想通りに読●ジャイアンツが優勝し、選手は来年春のペナントレースの開始まで、ストーブリーグに
     突入した。 マイキーも今、そんな気分だ。
ヤッホ〜 (*゚▽゚)ノ

     11月15日知的財産管理技能士2級の資格試験を受験して、本年度の
試験のスケジュールは全て終わった。
    チョ〜気持ちいい〜北島康介調で)そして今なんともいえない開放感に浸っている。
     なかなか無いよ、この歳でこんな気分。まるでサウナで粘っていて、水風呂に入ったような爽快感でもある。
     
     テスト前日の14日には、忙しくなさそうな知人連絡して、テストの後に落ち合って、お好み焼きとビールの予定を組む。

     
ところが
     言い訳のようだが、今回ので今年だけで3件目の資格試験。
     7月に
3級の知的財産管理技能試験を受けて。10月に宅地建物取引主任者資格。11月に2級の知的財産管理技能試験と、
     5ケ月で3つのハードスケジュール。そのせいか、試験の10日ほど前から、すっかり試験に対する気持が失せてしまった。
     従って、帰宅後は低俗なTVショーとや鍋を相手にを始めてしまい、飲んでしまったら勉強なんてもう終わり。

     明日やろう、今度の土日に集中してやろうなどと、政権与党のように先送りしているうちに、試験日がやってきた。
     
     
チョ〜やばい
     そんな状態で、大阪工業大学に向かうと、来年度受けようと思っていたCFP(ファイナンシャルプランナー)の試験も行っていた。
     と云うことは?今回知財試験を落とすと、知財試験に合格するまでは、CFPの試験もお預けになってしまうことに。
     。

     今回の大阪工業大学の知的財産管理技能士試験の受験数は、1級は
77人。2級は553人。3級は805人という状況。
     入り口の黒いスーツのお姉さんに教室を教えて頂いた教室は741号室。
寒い中ご苦労さまです
     
     今回の実地試験から記述式が取り入れられるというので、もしかすると
今回に限りのラッキー試験だったかもしれ無いが、
     
もう遅い
     13:00より学科試験開始。マークシートで全40問の4択試験。何故か後半から回答が「
」と「」ばかりになってきた。
     特に「
」が余りにも多かった。
     
     14:00より実地試験開始。記述式と云っても、4択の回答を「ア」とか「イ」とかで記入するものや「
」「×」と書くもので、
     試験後、帰りの電車の中でチェックしてみると・・・・・やっぱりラッキー試験だったかも知れない。
     もう少し、せめて最後の10日間の追い込みがあれば・・・と思うと・・・「残念」(ギター侍は何処へ?)

     仕方が無い。やる気が無くなってしまったから。後は運に任せて、
そして又来年か?
     
     取り合えず今夜はお好み屋さんにレッツGO
      
     大阪工業大学大宮校 資格試験ではお馴染みです             寒い中、受験の教室の案内のお姉さん
      
     この日は同じ大学でファイナンシャルプランナーの試験も実施   受験の教室の様子
    
    PS: フレー・ふれー 尚希   ガンバレ頑張れ 夕子 
もうすぐ春〜ですよ

 久我神社   秋祭り
2009年11月 3日

      今日は11月3日の文化の日。まだ京都では紅葉も始まっていないこの時期に、早めの寒波が到来してすごく寒い。
    祭日というのに、試験が近いこともあり、電気炬燵の中で丸くなり問題集を眺めていると、遠くに聞こえていた太鼓の音が段々
     と近くなってきた。
何だ?と初め思ったが、思い出した。
     そうだ!今日は久我神社の秋の巡行の日だ。
     
     久我神社と云う近所の神社の神輿の行列が、この近辺を回るのだがそのコース上に我が家がある。何度か見たことはあるが、
     レポ記事のネタが向こうからやってくるので、自宅の2階のベランダから、その行列を眺めることにした。
     裃を着た氏子らしき人を先頭に、太鼓と獅子舞がまずは通って行った。その後神輿が3基。その中の1基は
     子供神輿で、子供たちが楽しげに紐を引っ張り通り過ぎた。
     その後を黒い法被を着た若い衆が駕籠のようなものを肩に引っ掛け通り過ぎた。その掛けられた幕には
双葉葵の神紋が
     輝いている。写真を整理していて気が付いたが、この若い2人が駕籠を担いで回るという唯一の力仕事をしていた。
     残り2基の神輿は、神輿の下にコマが付いていて、それを取り囲む鉢巻に短パン、腹巻の姿の男衆は勇ましいが、皆が神輿の
     前後を腕を組み、ゾロゾロ歩いているだけだった。
(しっかり担がんかい!!(・`□´・))
     そして行列の締めくくりに、小豆色の衣装の神主(?)がオープンカーで登場。
     
      
     先頭の太鼓と獅子舞                             初めの神輿。コマに乗っている。
      
     何やら駕籠のようなものを担ぐ若い衆この紋が双葉葵        その次に来た子供神輿、前後に子供がゾロゾロと歩く
      
     これがメインの神輿のようだ。                        最後にオープンカーに乗った茜色の衣の神主?
      
    久我神社の西の鳥居                      本殿

    そこで
     この久我神社というのは、御祭神が賀茂建角身命で賀茂別雷神社(上賀茂神社と呼ばれる)の摂社の1つである。
     したがってその神紋は上賀茂神社と同じ
双葉葵でもある。
     この久我神社の面白い所は、上賀茂神社の成り立ちがと大きな係わりがある点だ。(摂社なので当然といえばそれまでだが)
     それが
八咫烏(やたのからす)だ。従って久我神社の御神徳には航空安全という他には無い変わったものもある。

    京都市内の北の辺りは賀茂という地名だ。また市内を流れる川を鴨川(賀茂川)と云うこれらのかも(賀茂)という名称は、
     この地域に居住した賀茂一族に由来するものだ。この賀茂の一族が奈良の地の南方より、移り住んだと云われる。その結果、
     奈良から京都への移転の道中には、京都の賀茂と由来を同じくする、賀茂という地名や賀茂神社があちこちに残こされている。
     その賀茂建角身命がこの賀茂の地に来る時に、その先導したのが八咫烏といわれている。

    
そして上賀茂神社から少し南に離れた場所、この久我神社で、賀茂建角身命と共に祭られているということだ。
    
八咫烏(やたのからす)と云う、日本サッカーの国際チームの代表の胸のエンブレムにも輝く、その3本足の烏(からす)が何か?
     あるいは何者か?というのは謎で、解かってはいないのだ。

    そして肝心の賀茂別雷神社(上賀茂神社)のご祭神の別雷神(わけのいかつきのかみ)も果たして誰なのかは解かってはいない。
     
賀茂建角身命を祭神としている訳でもないのだ。また賀茂別雷神社(上賀茂神社)は更に南にある賀茂御親神社(下鴨神社)
     密接な関係にあり、それは伊勢神宮の内宮と外宮のような存在にも見える点だ。(古代妄想か?)
    そして
上賀茂神社の行事に烏(からす)相撲という、子供たちで行う行事が伝わる。また京都の中心を南北に貫く通りを烏丸(から
    すま)通と云う、これらも何かの繋がりがあるのかも知れない。

   そんな賀茂神社の秘密のエピソードにアプローチする謎を秘めているのが、この久我神社なのだ。

 時 代 祭 京都に住んで20数年 お初です
2009年10月22日
御池通の地下に市営の駐車場があり、「10月22日、時代祭りのため西口、中央口閉鎖」の予告看板を見て

今日は時代祭りか!!

うまくいけば見れるかもしんない。
興味が無いためいつもTVで観て「今日だったんだ」と思うことが多い。そう云う意味では東京で行われる行事も、住んでいる
京都で行われる行事もさほど変わりは無い。 いつも後の祭りだ。
時代祭りは京都の3大祭りに入れられる程の祭りだが、その歴史は浅い。京都の3大祭りとは、葵祭りと祇園祭りそしてこの時代祭りだ。
葵祭りの平安時代より行われるお祭りに比して、この時代祭りは僅か100年ほどずいぶんと新しい感じがする。
行列はお昼に京都御所を出発したようで、待ち構える烏丸御池には1時前にやってきた。
先頭は2台の馬車で烏帽子姿の京都府知事と京都市長が乗り、もう一台には府会と市会の議長が乗り合わせているとのアナウンスが聞こえた。
時代祭りは8つの時代の歴史上の人物や出来事を模してあるようだ。そして最初が幕末の時代で先陣を切って進むのが、
山国隊だ。山国隊は戊辰戦争の時、京都の北部の京都市右京区京北町の青年が朝廷側の勤皇義士として参加したことに由来するらしい?
(合っているのか、この説明疑問)
その後桂小五郎や坂本龍馬、西郷隆盛など薩長などの京都に関連する歴史上の人物が続いた。
続いて徳川家の京都への上使の列が登場。これは人数も多く江戸時代の参勤交代のような隊列だ。
続いて、和宮が到着したところで時間切れとなり、現場からの報告は終了となる。

今から人に会わねばならぬ。
8つの時代と云う説明だったので、江戸の後半までを見ることが出来たようだ。
 
京都市議会府議会議長と京都府知事と京都市長を乗せた馬車  山国隊
 
江戸幕府からの上使の隊列                    徳川家の14代家重に嫁いだ和宮
 シルバーウイーク 帰省
2009年 9月20〜22日
 
9月19日土曜日から9月23日までの5日間が休みになるというシルバーウィーク?
こんなの前にあったか判らないが、高速道路も1000円で乗り放題と云う事もあり、残っている四国88箇所回りも兼ねて、帰省することに。
金は無いが時間だけは十分にある。しかし本当はやるべきことがたくさん残っているのに、皆ほったらかし、帰ってから片付けようと。

(*^ヮ^*)
そうそう、この前の同窓会で話題に上った、多田小学校の卒業記念の「龍の絵」もぜひ見てみたい。


シルバーウイークの予定は、まず高知県に入り、高知の88箇所の残りを全て回って、時間があれば高知の朝市と高知
の誇るB級グルメの
鍋焼きラーメンを頂き、そのご故郷に帰省する。
帰省後はのんびりとさせて頂き、温泉でも入るか
隣の八幡浜市のB級グルメである、
八幡浜ちゃんぽんを食べて、出来れば愛媛県の西条市で友達と会い、
西条の近辺の88ヶ所を、2〜3箇所程回るという強行軍の計画。


                シルバーウィーク21

 黒 四 ダ ム 立山黒部アルペンルート
2009年 9月12・13日
 黒部ダムを見に行くことになり、1泊の工程で出発進行。宿泊は長野県大町市の大町温泉郷にある緑翠亭景水というお宿
新幹線で名古屋まで向かい、その後ワイドビューしなので松本まで楽チン楽チン。そして在来線の大糸線の各駅停車で信濃大町駅に到着。
長野県大町市は黒四ダム建設当時の資材運搬用のトンネル掘削始点でもある。明日はこのトンネルから黒四ダムへと向かう。
その後、立山黒部アルペンルートで富山まで抜けて京都へ帰るという強行軍です。本日はゆっくりと温泉につかります。
 
宿泊はこのようなお部屋                         部屋の外はアカマツ、その先に大きな川が流れています。
静かなゆっくりと休めました。
 
温泉の様子。小さな子が写ってしまった。
           露天風呂 気持ち好かった〜
大町温泉はヌメリとか色も無く、ほんの少し硫黄の香りがする温泉でした。合計3回の入浴

 
 夜のメインディシュ。目を引いたのが大きなエリンゲ。でかい!!手で裂いてバターで蒸し焼きにすると これがマイウ〜(古いか)。
交通事情も良くなり、山の中の温泉郷であっても、海の幸もふんだんに盛り込まれた夕食です。
日本中どこに泊まってもあまり変わり映えはしませんが、エリンゲの蒸し焼きやソバが美味しかった。ソバの写真が無い。


黒四ダムなど立山黒部アルペンルートの記録写真     

 33年振りの同窓会 宇和町立多田小学校昭和51年卒業生
2009年 8月14日

      
     お盆の帰省を前に卒業した小学校の同窓会の案内が来た。懐かしいな〜。
    開催日も丁度良い。参加させて頂くことに。
    話には聞いていたがこの卒業した小学校も児童数減少を受、廃校になるという。

        同窓会の写真   写真が重いのでこちらを

写真をそのままでアップしています。肖像権パブリシティ権プライバシー等で問題のある方はご連絡下さい。
削除するか画像を加工します。
なお、写真は画質を落として
(軽くするため)います。
 京都五条坂の陶器市 エーもんは高い?
2009年 8月 9日
 京都の五条通り(国道1号線)で毎年行われている陶器市に、20数年ぶりに訪れた。五条坂の陶器市は8月7日から
8月10日まで行われた。ここの陶器市は数多い陶器を売る京都の市でも有数な陶器市だ。
訪問したのは8月9日の日曜日の午後だ。天気が悪く雨は降っていないものの、今でも降り出しそうな空模様。
しかし会場に行くと、人もまばらな状態で、かなり驚いた。しかし今回はゆっくり見て回れそうだ。
 前回訪れた20数年前には、人ごみを掻き分けて出店を回った。その状況は夢だったのか?とすら感じるギャップだ。

その時に鶯色(うぐいす)の色彩が鮮やかな湯飲みを購入した。
多分まだ学生だった頃で、お金も無いのに結構な買い物をしたような記憶がある。
今回の訪問の目的が、焼酎を飲む器を捜すことにある。100円ショップで購入したものを愛用していたが、
その色と形が気に入っていない。
最近は100円ショップの食器類にお世話になりっ放して、10年ほど前に家を建てたときには全て100円ショップで調達した。
安くて助かった!!

     (^O^)/
      しかし会場で売っている焼酎の器の値段が高いこと。これいい色しているなと思って、値札を見ると大概が2000円ほど。
     コレくらいでもいいかな〜と、妥協したもので1,000円ほどです。
     1000円以下では殆ど無く、500円ほどで見つけた器は、どこか量産品の安さ感が漂っていた。
     売る側の立場からすると、1000円位は頂かないと採算が取れないのかも知れない。一方でこちらは、100円ショップですっかり
     値段の基準が沁み込んでしまい、すごく割高な感じを受けます
     パスタ用の皿や、大皿も良いものが有ったが、次回に回して、最終的に見つけたのがこちらです。


    購入した3品のフリーカップ                   今までの物との比較、左100円ショップ
    
    右 織部焼500円左の2個は瀬戸焼500円                 左が100円ショップ質の違いは歴然、お世話に成りました。バイバイ〜
    
   陶器市の会場は五条坂(R1)です。この先の山に有名な清水寺がある。日曜の午後にしてもこの様な寂しい人出です。
    
    よほど売れないのか爆睡の親爺               ここは苔や盆栽を楽しむ店
    少ないとはいえこの人通りの中で・・・信楽焼の次郎窯は個性的     

購入したフリーカップは、どちらも器も700円の値札があったが、欲しそうな顔をしていたのか、500円に値下げしてくれた。
その一方で、本当に欲しい色彩や形態の物、特に良い焼色をしている物には、やはり手が届きません。
良かったな清水焼の器、上品でした。
 金入りの7月 忙しいし、金は無いし
7月20日
 日常のことで何かと忙しい。やらなければなならいことがかなり溜まっている。
まずは自動車損保の更新だ、ほったらかし状態なので早く更新手続きをしなければならない。次に厚生年金基金の処理。
厚生年金基金から脱退して1年が経つので、方針を決断しなければならない。解約して一次金として貰ってしまうのか、
それとも65歳以降に年金として支給を受けるのか。
それと市民・府民税の納付の件だ。もう払った物と勘違いをしていて、そんなところにいきなり督促状が来て、そのままだ。

その次に町内会の件だ、組長になりチラシなどは順調に撒いてきたが、7月に入り急に忙しくなってきた。
今まではチラシや行政新聞を、各戸に配布したり、回覧板に回覧物を綴じて隣に回せば事足りてきた。
今回やらなければならないのが、老人福祉協議会の協賛金の募集と75歳以上の調査と名簿作成。そして町民体育祭の企業公告の募集などだ。
そしてややこしいのが、地蔵盆という行事における子どもの数の確認だ。幼児と児童、児童が男か女かの別、そして中学生の別だ。

近所付き合いもしていないのに、困っちゃうよ。
戸別訪問して、初めましての挨拶の後、募金をお願いしたり、その家族の状況を聞いて回るなんて出来わけがない。
ポストに入れられた、そんなチラシや回覧物を見て、段々腹が立ってきた。丸投げしやがって 
そのいずれもが7月末までに集計し報告せよと云うものだ。
知るか ボケー と云う気分だ。

次に金の問題だ。車のバッテリーが上がってしまい。交換や何やかにやで約30,000円ほど掛かった。
そのついでに車のマフラーの修理もと云う話になりそれの費用が約30,000円。
おまけにタイヤが磨耗しているので、交換しなければならないがその費用・・・

不運は重なるものでホームシアター用のプロジェクターのライトが故障して、その修理代が約50,000円

そんな金が無えよ
 祇園祭り 山鉾巡行
2009年7月16日
 京都に暮らすようになって、すでに23、4年を超えるが、初めて祇園祭りの山鉾巡行を観ることが出来た。
祇園祭りは京都の誇る祭りで、その規模や伝統からも、日本における三大祭りにも数えられる事も多い。
しかし
山鉾巡行という、昼間に行われると呼ばれる山車を引き廻すものは、京都に居ながらもTVでしか見たことは無かった。

祇園祭りは、その
山鉾巡行以外にも夜の行事としての山や鉾に提燈を灯し、お囃子を鳴らしてちまきを売る、宵山と云う行事もある。
もしかすると一般の市民にとってはこちらの方がメインかもしれない。
宵山と云うのは、山鉾巡行の行われる前日を宵山と云い、まさに祇園祭りの前夜祭として人々が浴衣を着て繰り出す祭りだ。
宵山の前日を
宵々山と云い、更に前々日を宵々々山、宵山の3日前を宵々々々山(よいよいよいよいやま)と呼び、
京都の夜は自由に歩くことが困難な程に多くの人が訪れる。

そして唯一、この祇園祭りの宵山に訪れたのは20数年も前のことだ。小中高以来の同級生と銜えタバコで歩いていると、
「君、君、タバコ吸っているけど、未成年じゃないの?」と声を掛けてきた女の人。婦警さんでどうやら未成年に見えたらしい。
「君、歳は幾つ?」歳を云うと、「本当に?干支は何」と聞かれ「ウサギ」というと、「危ないことはしないでね」と開放された。

それ以来の祇園祭りだ。今年は丁度都合が良かった。しかしその感想は、やはり祇園祭りはTVで見る方が一番いい。
1回見ればそれで十分という感想でした。
 
山と呼ばれるもの、提灯が掛けられ夜は火が灯されます。     山は小振りでその上に人は乗れない。巡行では提灯を外して
 
仮設の渡り廊下が掛けられ、有料で見学が可能に         鉾の巡行の様子。巨大で多くの人が乗ったままで市内を回る
 21年度グッドデザイン賞 一次不通過
2009年7月15日
 今日は飲むぞ!
潰れるまで飲む。寝れるかどうか判らないが


 飲む   悲なジィィ  


悲し過ぎる
 資格試験 知的財産管理技能士3級
7月12日
 知的財産管理技能士試験という,、一般の人には聞きなれない資格試験を受けた。
一応真面目に取り組んだので、此処1ケ月程はホームページのUPも疎かになってしまった。
ココ数年は毎年のように資格試験をチャレンジしている。その体験から照らしてみると、今日の結果は
×だ。
明日になれば模範解答がネットに公開されるが、とても答え合わせをする気にもならない。
気が滅入り、敗北感で疲れ果てている。

当初のスケジュールでは、この7月に3級を受験し、資格を確実にGetした上で、さらに試験慣れも兼ねて目的の2級試験を受けるという計画だった。
この知的財産の試験は、年に3回も行ってくれる、国家資格としては珍しい資格試験だ。
しかし次回行われる11月においても、再び3級を受験することになりそうだ・・・
受験料の11,000円と参考書代そして時間が無駄となった1日だった。

試験の受験地は大阪で、大阪工業大学大宮校だ。資格試験においては、この学校は試験会場として何回も訪れている。
試験では学科と実技の2種を受ける。それぞれ45分間で30問のマークシート方式だ。今回の大阪での受験者数は、
受験番号からみると1級受験者68人。2級受験者666人。3級受験者961人のようだ。
マイキーも大工大の大宮校の1号館3Fの131号教室で3級を受けた。
欠席者は少なく、9割方は受けたのでは無いだろうか。ネットで確認するとMBS放送の西アナウンサーなども3級を受験していたようだ。
受験の年齢層はは老若男女が混在していたが、女性が多い。しかも半分ほどは大学生のような若い人が多かったような印象だ。

試験内容で苦戦したのは、前半に行われた学科試験で、30問中の5問ほどは全く初めてみる問題だった。
テキストとか過去問に出てきて無い内容であった為、応用も利かないので全くの当てずっぽうでの回答になった。

そのような場合には、と決めていた判らない問題は全て3番にする処置をした。(確率的には1問は合っているかな)

試験開始前に回りの受験生を観察した時、マイキーも購入した「日本能率協会マネージメントセンター」発行の
「知的財産管理技能士検定2級・3級完全合格テキスト&問題集」を見ている人も少なくなかった。
多分そのテキストで試験を受けた人も、同じ様な感想を持ったのでは無いだろうか?
聞いてねえよ!!こんな問題

苦戦している40代も後半のマイキーに対して、隣の席の学生と思しき女の子だ。
試験開始後30分ほどで解答が終わったらしく、ペンを置き寝ている。
その時点でマイキーはまだ25問目で、5問も残っている。試験の残り時間も15分で、こっちは必死のパッチ状態だ。
試験の残り時間7分程で全ての解答が終わり、自信の無い問題を再確認を行う。しかし自信の無い問題のマークシートは
見直しを行ったところで、全く解らない。この学生さん(?)、顔だけ拝見すると決して賢そうな感じでは無いのですが・・・・・・。

ふがいない出来に落ち込んだが、次の実地試験まで1時間の休憩があった。気持ちが少しパニックにもなっていたので、
いまさらテキストなんか読んでも頭に入りそうに無かった。そこで散歩でもして気分転換を図ることにした。

しかしこの大坂工大のキャンパスすごく狭いので、10分もしないうちに校内を1周出来る。そこで門から外に出て大坂工大の周りを
歩いて回る。
気分転換が良かったのか、後半の実技試験は前半の学科のようなことは無く終了した。
相変わらず隣の女の子は30分ほどから同じ様に寝ている。中々出来る。
そしてゲームセット。
 讃岐うどんツアー3 一鶴をやっとこさ頂く
2009年 6月 6日

   このツアーなど、プロフィール自体が重くなったので 香川グルメ?観光 へ移動しました。

 車の故障 21年度 ゴールデンウイーク
2009年4月30日
 生意気にもゴールデンウイークの休みを利用して四国へ帰省することにした。
麻生内閣による景気刺激政策で高速道路も1,000円で乗り放題と云うのを利用させて頂き、景気刺激をさせて頂くことにします。
通常帰省での正規料金は、JHだけで片道7,400円する。これに本四公団の瀬戸大橋が片道4,100円。
合計すると高速代で
通常は11,500円が必要となる。さらに往復することで、×2の23,000円が必要となる。
今回試算すると、JH分が1,000円。瀬戸大橋が1,000円の計2,000円となり往復で
4,000円となる。
つまり帰省費のうち
確実に19,000円がお得になる。

ところが、休みを前にした夕方、帰宅のため車をスタートさせるといきなりガリガリとすごい音と衝撃と共に車がストップした。
恐ろしい位の衝撃だった。  
車を停めて車の下を覗くと、マフラーの触媒を含ん部位が折れて、道路に食い込むようになっている。
マフラーの触媒の部位の手前のジョイント部で無残に折れ、口を開けていた。
車を少しバックさせ食い込みは解消させたが、このままでは前に走行は出来ない。
バックで走っていけば折れたマフラーを引きズリながらも走行は出来そうだが・・・。
車の下をのぞくいてみると天井から用途不明のひもがあるので引っ張ってみるとそこそこの強度がある。折れたマフラーのパイプを引っ掛けると上手く引っ掛けられた。
マフラーがひもから外れない様に、おそるおそる時速20km程で自宅まで帰ることに。
 
家で応急処置を行うことに。排気の吐き出し口部はかろうじて金具でとまっているが、危ないので折れた部位全体の取り外しをやってみるが外れない。
ハンドカッターで固定ボルトの切断を計画するが、うっかり手元が狂い本体に傷を付けると、今後の修理もままならなくなるので断念。
そこで用途不明のひもに引っ掛けてあるマフラーを針金で改めて引っ掛け補強し車体の底に固定を行う。
素人仕事で心許無いが、折れたマフラー部の引き上げには無事成功した。
マフラーの落下の心配は少なくなったが、生のNOxを含んだ排ガスがもろに排出されている。

エンジンを掛けたままで、気持ちよく車で昼寝などをしていたら、排ガスが回って来て、そのまま棺桶にも成りかねない。
修理するにも金が無い。
とんでもないゴールデンウイーク幕開けになった。高速道路で今回の故障が発生していたら、確実に命取りに成っていた。
運がいいのか悪いのか 
世界で初めての現場 シールド工法
2009年 4月 9日
 京都市伏見区で行われているトンネル工事を2箇所見た。このトンネルは地下鉄や車のための物では無く、完成後は下水が流れるものとなる。
2箇所とも外観は巨大な倉庫のような窓の無い建物で、そこからは、ココで何が行われているか全く想像もつかない。
高さ15mほどの建物の中には、工事資材を作るプラントや門型クレーンが置かれ、外壁は防音パネルで覆われている。
またこの建物内には大きな穴(立坑)が掘られ、ココからトンネル工事で出た土砂の搬出と材料が運び込まれる基地となっている。
 
外観                                        立坑とクレーン設備
 
上から見た立坑 深さは約 h=20m                    底から見上げる。

底に下りると、壁にトンネルの入口があり、レールと配管が奥へと伸びている。そこには一般の工事現場のような喧騒は無い。
引かれたレールの上にトロッコ車のような物(バッテリー車)が乗り、これを利用して効率的に土砂や土木資材の運搬を行う。

 
直径2100mmのトンネル入口と土砂を運ぶ車輌             もう一方の現場の直径3000mmのトンネル入口
トンネルの内はレールが引かれその上にこの車輌が乗る。       このモワモワ水蒸気です
 
レールの中央に仮設の通路が設置されこの上を歩いて先に行く。   大きい径の方は、この仮設通路が黄色い手摺の内側に設けられている。
手前がステンレス製のセグメント、奥はコンクリート製。          こちらで見える壁はコンクリート製のセグメント。

トンネル内の仮設通路をしばらく進むと、レールに乗った設備が見えてきた。この設備の50m先の先端部で地山を掘っている。
先端部では1mほど堀進めると次にンクリート製の丸い壁(セグメント)を取り付けて行く。
このセグメントはお菓子のバームクーヘンを切ったような形をしている。掘られた部分に1周分6ピースのセグメントを前後左右にボルト締めを行い、
トンネルらしい丸い壁が完成する。(この状態一次覆工という)
驚くのはこの先端で働いているのは僅かに4人ほど。その内2人は写真撮影や機械操作などの管理する人だ。
運搬用の車両を操作する人と地上でクレーンを操作する人の6名ほどの1班が昼夜交代でトンネルを掘り続けている。
 
掘削部分とそれに接続した設備の最後尾。 この50m先が掘っているトンネルの先端部。右の写真がその先端部
 
壁の480の数字は入り口から480mを示す、ここまで完成した。    ヤード箇所に置かれた資材。右側がコンクリート製のセグメント。
                                            残りはステンレス製のセグメント。幅は1000mm
 
急カーブの部分が多く、日本酒のメーカーの多い伏見地区の地下水などの環境を考慮した、世界で初めてステンレス製のセグメント
を使用する工事現場です。世界に冠たる日本の土木技術の一端です。

 4組組長 新組長
2009年3月29日
 現在の地に住み初めて早いもので8年が経つ。そしてついにやってきた町内会の役回りだ。
この町内では不平が出ないように輪番制で隣組の組長が回ってくるらしい。近所付き合いをしていないため、
何軒の家庭があり、何年で一周してくることすらも知らない。
3年ほど前に、組長の順番が
隣の隣に回ってきたのに気がつき、後2年、後1年とカウントダウンが始まり、
めちゃくちゃブルーな気分です。
 (´д`)ハァ〜

正直、年間6,000円のお金のかかる町内会からの離脱すら真剣に考えていたが、ついにやってきた。
「4組新組長お願いします。3月29日日曜日PM7:00 西賀茂会館集合 
10分前には来て下さい」
なる伝言
お隣ちゃまからだ

 定刻の15分前に行くと、パラパラと数人が既に来ている。1人として知った顔がいない。
とりあえず一番後ろの端に座らせて頂く、挨拶も会話も無く1人ポツンと。
定刻直前にどっと人がやって来て、その中にお隣の奥さんがいて、隣に座って頂いた。本当にありがたかった。
集まった人数はおおよそ50人弱。

役員の挨拶と簡単な今回の集会の説明が始まった。この町内は23組に分かれているらしいことも判明。
どうやら本日は、新旧の組長がほぼ全員集まっているらしい。

役員は会長の佐々木氏(初めて見ます)、副会長の水本氏(同じく)と森田氏(同じく)、議長の河辺氏(同じく)
監査の福士氏(同じく)。20年度の事業報告と会計報告が終わり、拍手で承認。
引き続き21年度の予算計画が同じく拍手で承認された。

そして本日のメインイベント、町内の
の抽選です。
当たるのは
会計監査2名少年補導員1名体振(タイシン)2名計5人です。
面倒なのがどうやら「体振」らしいが、できればすべて免除されたい。

アミダクジに新組長が順番に組番号を入れていく。
くじ運が悪いことは今までの人生経験で実証済みだが、
なんか今日に限り当たりそうな嫌な気分です


「まずは会計監査員さんいきます」とアミダクジ「16番」さん「15番」さん
ぶじに( ´ー`)セ〜フ
「次に少年補導員さんいきます」そして「17番」さん
つずけて( ´ー`)Vセ〜フ
「最後タイシン(体振)さんいきます。申し訳ないけど、くじですのでぜひお願いします」そして「21番」さん。
「エ〜」と悲鳴に近い声が、1つおいて隣からだ、見ると若い奥さんだ。
お気の毒に・・・

「さいごは22番さん・・・ン?私」とクジを進行していた副会長の森田氏自身にビンゴ。
森田さんは副会長でありながら、今回の新組長でもあったようだ。
そして
「喜んでやらせて頂きます。これで8つ目の役ですわ」と森田氏の発言で終わりとホッとしたところに。

ちょっと待った。」と声が。( ̄□ ̄;)エエ

 意見をしたのは旧の組長で、しかも「体振」の人らしい。この体振が実に大変で、1年間を新旧の4人で行うらしい。
従ってこの人、今年度で組長は辞める事ができるが、体振はもう1年間、役が続くらしい。
当然今回、クジに当たった人も来年までの2年間しなければならない。
意見の内容は、体振は色々と動くことが多いので、出来ればフットワークの軽い若い人が望ましいこと。
次に参加人数のことで、役員以外の人を体振にすることで、その家族を含め参加人数の増加が確実に望める、
というものだ。つまり役員は行事に参加してくれていたので、今回体振の役を外れても、参加はしてくれる。
従って行事の参加の増員にはつながらない。
と云うことらしい。


( ̄◇ ̄;)  そんな

 そこで再び最後の一人をジャンケンか何かで決めようと云う話になり。
しかも「50未満の新組長は立って下さい」ということになり。
マイキーも立たされ
大ピンチです。

立たされたところで、いきなり
「○×さん」という声が。
どうやらマイキーの前に立っているジャージ姿の男性に、何やら体振の役の女の人が声を掛けたようだ。
「○×さん手伝ってよ」と更に追い討ちが。どうやらお知り合いらしい。
しかも間が悪いことにジャージ姿がけっこう決まっている。

逡巡後
やらせていただきますと新組長たちには有り難いお言葉が。

(*゚▽゚)ノよかった

ジャンケンで決まるかと思ったけど、最後の最後はご指名で決まった。
大変ご苦労さまです。よろしくお願い致します。

 2級造園施工管理技士 合格発表
2009年 3月 6日
 合格したよ。誰か祝ってくで!

(●^□^●) ハハハ

ガテン系の業界の人にとって
2級造園施工管理技士の資格なんて、なんともかんともレベルの低い話かもしんないけんど。
2年もかかって取得してみると、その喜びはひとしおです。しかも一応国家資格です。
そして、なんといっても
「街角の植物」管理者としては、どうしても必要最低限のスキルでした。

そして突然のラストチャンスでした。受験の実務経験とその証明をしてくれる会社が無くなったのですから。
前年に初受験で学科のみ合格し、実地試験であえなく玉砕。
去年の4月頃に再チャレンジの申し込みをして、その後の7月末の会社の自己破産という信じられない事態の到来です。
無職となり、資格試験を受ける理由も無くなり、どうしようかと一時迷いました。
しかしプーとなり現実的に何もやることが無くなると、この試験を受けることが、唯一の予定となり、目的になりました。
知人などから
「今、何しての?」とか「これからどうするの?」などと聞かれたときの唯一の言い訳になっていました。

「11月に試験を受けるので、それから考えようと思ってる」なんて何回云ったことか。

あまりお勉強はしてなかったけど。いい言い訳でした。
レベルが違いますが、
マイキー的には失業中の同い年の元同僚が社会人経験者を対象にした公務員試験に、
みごと合格したことを聞いたときと、同じくらいうれしかった。


おめでとう!!


会社無くなってしまってから、本当にうれしいことが無かったからね!!。

しかし、今日は、インターネットの合格者の番号を見ながら、ニヤニヤしてつぶれるまで飲むぞ。

(*^ヮ^*) /おー

 確定申告 還付金
2009年 2月27日
 会社が倒産したために年末調整が出来ていない、そこで税金を少しでも取り戻すべく確定申告を行った。
京都市北区役所に出向き、
「所得税の確定申告書」「市民税と府民税の住宅借入金等特別税額控除申告書」を受け取る。
申告書の提出は上京税務署で、申告の期間は3月16日まで。遅くなると混むということで早めにしてくださいとのこと。
「了解」

確定申告書は
「A」「B」の2種類あり、聞いてみると給与所得者だったために「A」に記載申告するようだ。
複写になった確定申告書を見ただけでは何を書いたらよいのか全く解らない。
記載要領を記載した
「手引き」を読んでみるがかなり難しい。

( ̄◇ ̄;)
1回読んだくらいじゃわからん。

繰り返し2・3度読み直して少しづつ理解できてきた。判っているような簡単な「文字」でも意味が解り難い。
たとえば
「収入金額」と「所得金額」の意味の違い。それぞれの欄に「給与」の項目がある。
源泉徴収票計算により20年度の収入金額側の給与310万程で所得金額側の給与200万程になった。
その後、各種の控除金額を差し引くと
「課税される所得金額」が計算できて、その金額は95万程になった。
この金額に税率を掛けると
「20年度の所得税」4.7万程になった。

次に
「給与所得者の住宅借入金等特別控除申請書」を書く。これは毎年書いているので記載要領は解る。
ローン残高などより計算していくと控除額は
18万ほどになる。

相殺してみると、結局13.3万ほどマイナスとなり。申告する所得税は無事に「0円」となった。
既に給与から天引きで源泉徴収されている
9万ほど全額が還付されることに。
うれぴー


更に
「市民税と府民税の住宅借入金等特別税額控除申告書」を書く、これも去年書いたので問題は無い。
記入して計算すると、21年度の市民税と府民税の合計で
4.7万程が控除されることになった。
判子を押し上京税務署に提出すると、簡単なチェックをされるが問題なく受理される。
還付金は4月までには振り込まれるとのこと。楽しみに待たせて頂きます。


 特別な日 その他
2009年 2月 1日
 お正月もあっという間に過ぎ去り、今年も2月1日を迎えることに。
この
2月1日は記念日でも何でも無い日ですが、毎年廻ってくる2月1日はマイキーにとって特別な日です。
特別な日というのには、それなりの理由があります。
しかし過去のこの日に特段何の思い出も有りません。
そしてその日に何か特別なことをすることもありません。ただ毎年この日を迎え、
そして何も無く静かに過ぎ行くだけです。
何も起こらないけれど特別な日なのです。自分にとって特別であることに何の疑いもありません。

と思っていたら実は
2月1日は偶然にも両親の結婚記念日でした。
偶然なのか、縁なのか不思議な感じです。
自分でも改めてこの日がそうなのかと思ったくらいです。

毎年いつも同じ様にこの日を迎え、この日が過ぎて往きます。
多分このまま、この日は特別な日であり続けるでしょう。

自分だけの特別な日
(´д`)ハァ〜

 男料理 ブリ(ハマチ)の造り
2009年1月1日
 年1回、唯一魚を捌くことが出来、技術の承継の機会がキター!!(山本高広 調でよろしく )
50cm弱のハマチの捌き、お正月のお刺身として鉢に盛る。一応四国の
さ鉢料です。

通常は40cm程度をハマチと云い、それ以上をブリと称するが、この当たりではこのサイズもハマチと呼ぶ。
親戚からの正月用の頂き物だ。

捌く大きさや魚の脂がどこに飛び散るかわからないため、捌きはいつも屋外の土間での作業です。
まず
第一の工程はハマチ表面の「ぬめり」を洗い落とします。この「ぬめり」の中に雑菌が多く、
食中毒の原因となる場合があります。流水とタワシで念入りに洗います。
(寒むー)

 
 
次に出刃包丁で頭を落とします。唯一硬い背骨を切断する作業があるので緊張する工程です。
このとき出刃包丁で背骨を叩き切る為、脂や血が服や周囲に飛び散る可能性が高いのです。
今回は雪の舞う中で、手の凍えと脂による滑りの予防のため新品の
軍手を使用することに。
出刃を右手
に  マイキー逝きますー!!

     
 エラヒレを立て一気に背骨まで出刃を押します。ひっくり返して同じ事を繰り返します。
カマの部分のまだつながっているところを切り離し、背骨だけがかろうじてつながっている状態に。
そして背骨の間接部分に出刃を当て一気に押し切りし、頭を外します。

多少身が多く取れても、
いいんです家庭料理ですから。この身が多く付いたアラも煮ると旨いぞー
次に腹を開き、出刃の刃先を使い内臓を切り離し、掻き出します。


 
 
次の工程は身を3枚におろします。
身が動かないように上から手で押さえ、背びれ側から背びれに沿い、皮に
切れ目を尻尾まで入れていきます。
この皮ですが結構な硬さがあります。
その切れ目に包丁を当て、背骨まで、水平に包丁を入れます。
次に腹側の部分も同様です、腹側から水平に背骨まで包丁を入れます。

その後身の幅の一番狭い尻尾側で、背側と腹側の背骨までの切り込みを確認し、骨の上に出刃の刃先を入れ、
この部分で貫通させ、身を分けます。
出刃の向きを替え、尾びれをしっかり掴み、出刃を背骨の上を滑らすように入頭側に滑られて切ると、
身が背骨を境に切り離れます。

身は尾びれの部分で僅かにつながった状態になりますが、最後に尻尾側を切り離し身を分けます。
同じ事を繰り返し、上身と下身そして背骨の3枚に下ろしが完了です。大胆さが必要なのはココまでです

 
 
次に、お腹のあばら骨を切り取ります。あばら骨は内臓を包むように膨らんでカーブしていますの結構難しい工程です。
頭側から縦に包丁をいれ、直ぐにあばら骨に沿うように包丁を寝させ、引くように切ります。1回で中々綺麗に取れません
ので何回かに分けて骨に沿い切り取ります。その後は縁に残った小骨類をきれいに掃除します。
身の付いたアラは別の容器などに一まとめにしておき、
まな板の上は常に綺麗な状態にしておきます
掃除の終わった身を中央の血合いの部分で2つに切り分けます。この血合いの部分にも骨がありますので、
指先で触って確認し、ここを掃除をして骨の無い
皮付きの柵の状態にします

 
 
次が
一番難しい皮引きの工程です。身の細い尻尾側をしっかりつまみ柳刃包丁で皮を残す状態まで切り込み
を縦に入れます。皮が残っている状態で包丁を寝させます。
まな板と柳刃を皮1枚で水平に保ちつまんでいる
皮の部分を水平に左右に振り引っ張ります
包丁は動かさず、皮を引っ張ることで身と皮を切り離します。
上の右の写真は、皮を引いた後で確認したところ中央付近で皮を引ききれずに、皮が身に付いた状態です
(失敗例)背の部分が黒い部分が皮が残っています。
そのような場合は包丁で削ぎ切りにします。ここは後で刺身にしたとき背が赤いのですぐにわかります。

 
 
柵になった身を
4〜5切れ程度ずつ柳刃包丁で刺身にしていきます。
この4〜5切れを1ブロックにお皿に盛っていくと、わりと上手に盛る事もできます。
刺身の背の青い薄皮の残った状態がいわゆる上手く仕上がったと評価できる状態です。
一方背が赤い身の状態の場合、皮を引くとき失敗して皮に実が付いていっている状態ともといえます。

また背が白いのは腹側の身の薄皮です。今回は上手く皮が引けました。

 
シンプルにハマチだけ2皿のさ鉢料理の完成です。
撮影協力は姪娘でした。雪降る寒い中ご苦労さんでした。